プロフィール

あくつトップ
すぐうごく

行動力バツグン!

「なぎさ通りの新品川橋は、怖くて通れない。いつも遠回りをするため、大変に困ってる」との区民の声に、あくつ広王は、「すぐに伺っても宜しいですか!」と現場へ急行。
この歩道は、途中から階段になっているため、乳母車や車椅子の方は、どこを通っていいものか安全面の配慮が足りません。自転車道もとても狭いため大変危険です。
早速、歩道の整備を品川区へ要請するためにあくつ広王は行動を開始しました。

すぐわかる

心の痛みがわかる男!

「区民のための区政です。人の心の痛みがわかる自分に成長したい」あくつ広王の活動姿勢です。
あくつ広王は、自営業を営んでいた家に生まれ、就職難の中の再就職を経験しました。
98才の祖母は、大好きなおばあちゃんであり、人生の恩人。寮生活の中学時代、心配して遠路会いに来てくれた。「食べたい物あるかい」ととんかつをご馳走してくれ、「頑張るんだよ」と、ずっと涙を流してくれた。失職中、一番苦しい時、「絶対大丈夫だよ!」と励ましてくれた。自分の体も省みずに…。
沢山の友人がいる。就職先のない学生。懸命に働いても正社員になれない青年。リストラにあった先輩。子育ての応援が必要で途方にくれるお母さん。福祉の恩恵を受けられず不安に暮らす高齢者。
今日も真剣に一言も漏らすまいと皆の声を聞いています。

すぐできる

仕事がデキる即戦力!

あくつ広王は、これまで国会議員(池坊保子)の公設第一秘書として、日夜努力してきました。
秘書時代、「脳脊髄液減少症」という病気に関する相談があり、患者団体の代表との窓口に。
悩んでいる方々の生の声を何度も聞き、現状を分析。2007年、文部科学副大臣(当時)の池坊議員の強い指示で、全国教育委員会に対し、この病気で苦しむ子どもたちへ適切な対応を求める事務連絡が通達され、患者・ご家族の皆さまから、学校現場での病気の理解に大変役立った、との感謝の声が寄せられました。
これからは、この街品川が、あくつ広王の仕事場です。

大衆とともに

これまで、国会議員秘書として、11年間、政策実現のために働いてまいりました。皆さまからの切実な要望の窓口となって、お話しをうかがう度に、「政治は生活者の皆さまのためにある」と、何度も胸を熱くしました。また、同時に、「まだまだ国政に届かない声なき声が、山積みになっている」という現実も実感しました。「現場主義」こそ政治の生命。区政は生活最前線です。
この度、生まれ故郷で、祖父母の代からお世話になっている品川の地で、皆さまのために働きたい、もっともっと生活現場の声に触れ、暮らしやすい品川をつくりたいと決意を致しました。
真面目に努力して人生を歩んで来た方々が、心から喜べる社会を目指し、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆とともに死んでいく」の精神を胸に地域を走り抜いてまいります。

プロフィール

◆ 平成23年 品川区議会議員に初当選、現在1期目
◆ 品川区議会公明党 政調会長
◆ 品川区議会 建設委員会 委員、行財政改革特別委員会 副委員長
◆ 品川区都市計画審議会 委員
● 昭和49年1月4日 南品川生まれ
● 平成8年 創価大学 法学部卒業
● 発電機会社を経て、国会議員秘書11年
● 妻と娘の3人家族
[資格]英検準1級、空手2段、政策担当秘書
[信条]不可能と思った時から不可能となる 常に挑戦の人生を!

地元生まれの41才!品川のため皆さまのために!

南品川にあった都南病院で生まれ、祖父母はゼームス坂で「あくつ果物店」を営んでいました。長年お世話になってきた品川の皆さまのために働きます!

名前の由来は広く平和のために働く王者に!

広王の名前は「広く平和のために働く王者に」との願いから付けられました。

文武両道。誠実にしてたくましい!

小学校時代は本を読みながら登下校。二宮金次郎のような子どもがいると評判になるほどの読書好き。英語も得意で英検準1級を取得。中学・高校では空手部の部長を務めた有段者。文武両道の青年です。

失職の苦労をバネにさらなる成長!

私設秘書時代、議員の比例区転出により失職。大変な苦労の末、やっとの思いで再就職。職を探す人の気持ちを身をもって知る。その後、政策担当秘書資格を取得。

公設第一秘書として相談の窓口に!

国会議員の秘書として11年。相談者の真剣な訴えを一言も聞きもらすまいと、どんな相談にも誠実に対応。現状の制度の課題を整理し、深夜まで、事務所で陳情書類を作成するなど、持ち前の情熱と執念で活躍。「初めに、出来ないと思えば何も変えられない」ことを先輩議員との共戦で学び抜いた「庶民派の即戦力」です。

あくつ広王と、衆議院議員(当時)池坊保子氏